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ズームイン朝! ワシらほど運の無い奴らはいない?

 あれはもう20年以上前、友人と東京に行った時の事。 2人で 「ズームイン朝」のスタジオまで行こうと決めたのだった。 当時、スタジオの背景は外の景色がそのまま映し出され観客が顔を映そうと並んで立っていたのだ。 そこに行って我々も映ろうという魂胆なのだ。 

 当日、ワシらは早起きし、ワクワクしながらスタジオに向かった。 どうやって映るか、また番組最後には徳光さんが外まで来てインタビュウされるかも・・などと浮かれながら田舎もんは喜んだわけだ。 それにしても、東京の通路は狭い。 こんな所に車が通れるんかい?と思った。 スタジオも想像してたより遥かに小さかった。

 そして何より驚いたのは・・・・・・


 誰もいない!

 
 なんとその日はズームイン朝が唯一、スタジオを飛び出し「水曜おじさん」の自宅に行っていた日だったのだ! ワシらはもぬけの殻のスタジオを見てボーゼンとするのであった・・・・
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「コパカバーナ」 バリー・マニロウ

洋楽なんて判らない。 歌詞もわからんし。 でも曲調がいいなあと思う事はある。

 「コパカバーナ」もなんだか真夏の気だるさを感じさせて憂鬱なかっこ良さを感じていた。 頭の中での想像は「コパカバーナで生まれた恋。 2人で過ごした熱い夏。 夏の恋は幻なのか・・ ただ日焼け跡だけが恋の思いを呼び起こします。 歌っていただきましょう! バリーマニロウ!コパカバーナ!」by 玉置宏 

 ってな感じなのだが改めて歌詞を見ると恋人同士が働いているお店で、客ともめた彼氏が射殺されてしまうというなんとも恐ろしい歌詞だったのだ。 「が~~ん!」  よくよく聞いてみるとメロディの中には銃声らしき音や、彼女の悲鳴まで入っているではないか! もう恐くて僕ちゃん眠れません・・・・・ 

タンゴヨーロッパ  乙女の純情

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今回は殆ど共感もしてくれないのでは?と不安な話しだ。 珍しく80年代前半の曲だが、「タンゴ・ヨーロッパ」とは5人組の女の子バンドである。 当時、「タンゴ・ヨーロッパ」のボーカル「ニャンコ」オールナイトニッポン 金曜第二部を担当していてそれを聞いたのがそもそものキッカケである。 

当時はタイガーマスクを筆頭にプロレスが大ブームで金曜八時には必ず見ていたもんだが、これまた金曜深夜のオールナイトニッポン第一部の「山口良一」が大のプロレスファンで番組内に「闘魂スペシャル」というコーナーまで作ってしまった。 ゲストにプロレスラーが来たり、プロレス中継では判らなかった、試合結果や情報が満載でウハウハ聞いていた。 んでそれが終わり、流れで「ニャンコ」のオールナイトを聞いていたのだ。

 まあ なんとも超カマトトな声と喋り、今では女に幻想を見られなくなったワシではあるが^^ 当時、中学のワシには「可愛い!」と夢中になってしまったのだ。 番組内では「タンゴ・ヨーロッパ」の曲が沢山流れ、自然と好きになるのである。 戦略にまんまとハマッた訳だ。 「乙女の純情」はアルバムタイトルにもあるからしてイチオシの曲だが、ニャンコの甘ったるいボーカルとは対照的なカッコイイサウンドが合わさって妙に心くすぐられたのだ。男の純情だ^^ 

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 ラジオでは聴いていてもTVで見た事が無かった。 が、アルバム写真を見て納得した。 ルックスがイマイチなのだ^^ 5人のうち、一勝3敗一引き分けってな感じなのだ(ひでえなあ ワシ!)下手すれば4敗か・・・ それでも毎週、ラジオから流れる曲を聞いて遂にはLPを買った。 LPを買った時に初めて顔を見たのだが多少は落胆したものの(ひでえな ワシ) 過剰な期待をしていなかったので乗り越える事が出来た! (ちなみに友人、Wは 谷山浩子の声の美しさに過剰に反応し、初めて写真を見た時に物凄く落胆していた)

アルバムの中ではオールナイトでも印象深い「乙女の純情」 「恋した女のイマジネーション」 がお気に入りだが「愛のゆびきり」もかなりの名作だ。 この曲の間奏はオールナイトニッポンのCM明けジングルとしても使用されていた。 

 彼女も居ない、惨めな少年が甘ったるいカマトトボイスにすっかりやられてしまったあの頃を思い出すと胸が締め付けられる思いなのだ。 アルバムは皆、個性的でニャンコらしい曲ばかりでなかなかの出来だ。 久々に聞いてみるかな! 皆さんも機会があればぜひ!(なかなか無いだろ)

歌謡曲は物真似の宝庫?  西城秀樹 エンドレスサマー

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洋楽の知識なんて全く無いワシ、歌謡曲の知識も浅い。 (いばるな!) 田原年彦の「哀愁でいと」も洋楽のカバーだと知ったのは割と近年の事だ。 日本独自の歌謡曲だと思いがちだが洋楽の影響はもろに受けている。 

 西城秀樹の「エンドレスサマー」という曲がある。 1980年、ワシが中学の時の歌だ。 西城秀樹はヤングマンの大ヒットも通り過ぎ、ゆっくりと下り坂を歩き始めた頃だった。 ザ・ベストテンにも登場したが売り上げ枚数は10万枚そこそこだったらしい。 秀樹の中では非常に存在感の薄い曲だ。 ラジオでもまずかからない。 20年間聞いてきた中で一度だけかかった事がある。 なぜならワシがリクエストしたからなのだ^^ ワシはえらいと思う。(自画自賛)

 中学の部活の試合に行く時の車のラジオ放送で当時はよくかかっていたのだ。 「ハッ ハッ 裸足にな~れ~ ハッ ハッ 裸にな~れ~」という歌詞は印象的で覚えてる人も多いのではないだろうか? そして「心も体も~♪」のあとの「デデッデッデッデデ~」というメロディが好きなのだ。(判るか?こんな説明で?) TVでは この「デデッデッデッデデ~」に合せて秀樹が腰をくねらすのだがそれが妙にエロくさく、後ろで見ていた出演者が失笑するという悲しい事件まで起きてしまうのだ。

 踊りもサンバのような小刻みなリズムでベテランの域に入ってきた秀樹には合わなかった。なんだか秀樹の全盛が終わったんだなあと思わせる雰囲気だったのだ。個人的にはもう少し落ち着いて歌えばいいのにと感じたのだ。 とはいえ、わしのお気に入りの曲には違いない。 サマーソングだがどことなく悲しげなメロディで「今年の夏は終わらない~」と歌ってるのだが終わってる感たっぷりのセンチな気分になるのだ。 

 特にイントロが秀逸でこれ程、鼻唄が難しいイントロもないもんだと感心するのである。 こんなメロが浮かぶなんて天才としか言いようがない。 と思っていたある日、何処となく「エンドレスサマー」を彷彿とさせるメロディが聞こえてきた。 その瞬間、「エンドレスサマーのイントロはココから来たんだ!」と悟ってしまった。 それはバリーマニロウの「コパカバーナ」だった。

 調べてみると秀樹は「バリーマニロウ」ファンだったという話しだからそういう雰囲気の歌を作ろうと言う事になったのかも知れない。 後に秀樹は「バリーマニロウ」とデュエット曲を発表するが、この曲の編曲は「エンドレスサマー」の編曲にも携わった船山基紀である。 因縁めいた関係があったんだなあ。 まあ深くはよう知らんけどね^^

少年野球の話 旧態依然?

まったくどうでもいい話しだけど。 子供が今年から野球を始めた。 親の目から見てもセンスが無い^^できれば上手くなって欲しいがそう簡単に上手くなる訳もない。 それにしても少年野球はどうしてこうも古臭いのか。 たいていのチームを見ると監督が怒鳴りちらしている場面をよく見るが効果はあるのだろうか? 前に体罰論の話しをしたが、ことスポーツに関してはなぜか昔から変わらない印象だ。 

 ワシは小学から高校まで野球をしていた。 特に中学の時の指導者は強烈で毎朝5時から練習、放課後はもちろん、土日は試合と野球漬けになった。 体罰は当然で試合に負けて殴られ、四球を連発しては殴られた。 一年生に声を出させろ!と殴られ、ティーバッティング台を間違ってバットで叩き壊して殴られた^^ もうほとほと疲れ果てた。

 常々思ってきた事。 野球を楽しんではいけないのか? 練習も辛い。試合も辛い。 勝てば楽しいと言うがそんな気もしない。 ワシが甘いだけなのか? まあこれは他のスポーツにも当てはまる事だと思うけど・・

 こと野球に関しては頭の固い監督、指導者はまだまだ多い。 指導者もそう育てられてきたのだろう。 少年野球はなんでこんなにつまらないかと思ってしまう。 バカの一つ覚えのように「ダウンスイング!」 「上から投げろ!」。 練習時間もだらだら長く効率が悪い。 まあそんな事、面と向かって監督に言ったら只の「モンスターペアレント」に成りかねないので言わないがどうも腑に落ちない。

 試合中、バッターに一球一球、怒鳴っている監督もいる。 あれじゃ落ち着いて撃ってもいられない。 子供の頭の中はもうグチャグチャだろう。  怒鳴るのは手っ取り早い。 何かをやらせるのは怒鳴るのが一番効果があるように見える。 でもそれで野球を嫌いになる子供も山ほどいるだろう。 失敗したい子供は誰もいない。 誰だって打ちたい。 そりゃワシも我が子を見て歯がゆくて怒鳴ってしまった事がある(お前も同じじゃねえか^^) でも後悔してもう止めた。

 結局、子供以上に親が熱くなってはいけないのだ。 熱血指導で成功した有名選手は沢山いると思うがそれで失敗した人もそれこそ何百倍もいるはずだ。 何より野球が苦痛になっては何の為にやってるのか意味が無い。 バッティングが悪いと怒られ、エラーして怒られ、それで上手くなって行くのはいいけどそれでいいのか?と考えてしまう。 皆がプロになる訳でもないし、というか殆どが草野球の末路だと言う事を考えるとなぜもっと楽しまないのだろうと悲しくなってくる。

 もしワシが監督ならば練習は長くとも夜6時半には子供を帰し、つまらん練習の繰り返しだけなら紅白戦をいっぱいやり、週に2回はオフを入れ、アッパースイングだろうがスリークウォーターだろうが思い切り打たせ、投げさせ、失敗を叱らず楽しめるチームにしたい。 金と暇があったらやってみたいもんだ。 (永遠に無理だろう・・・)

最近の演歌  演歌とは?

演歌とは何だろう? イメージで言うと、中高年が好きな歌。 親父が歌っていたジャンル。 でもワシも40を越えた。 しかしワシの世代で演歌が好きな人は滅多にいない。 わしも二十歳くらいの頃は演歌が良いと思わなかった。 でも勤務先で常時流れていたラジオ(決してレイディオじゃない) で演歌を良く聞くようになって段々と好きになって言った。 でも待てよ、演歌ってどういう区分けなんだろう? 

 それは今と昔でも随分違うと思う。 今になれば裕次郎や小林旭は「演歌」だろう。 でも当時は「流行歌」 だったはずだ。 演歌でも軽い物から「ド演歌」まで様々だと思う。 でも「演歌」とジャンル分けしてから演歌は衰退したように感じる。(あくまで個人的に) 小柳ルミ子だって前川清だって、新沼謙治だって演歌と言うジャンルでは違うような気がするのだ。

 「大人の歌」であって演歌と区分けする必要が無いと思う。 「演歌」が独立した物になってる現在には演歌の大ヒット曲が無い。 それは作詞、作曲家、編曲家、歌手に至るまで「演歌」を作ろう、歌おうとしているからなのでは無いだろうか? いわゆるド演歌である。 

 最近の演歌を聞くとうんざりして食傷気味である。 それは何を聞いても同じようなイントロ、同じような歌詞、尺八が入って三味線が鳴って次のフレーズ、メロディが予測できるような歌ばかり。 聞いていても「これ、本気で売れると思うのだろうか?」と首を捻るものばかり。 そんなに無理してまで演歌を作らなければいけないのだろうか? 

 「演歌」という言葉の呪縛なのではないか? 「大人の流行歌」を作ろう。 それで良い様な気がする。 近年、秋元順子「愛のままで・・・」がヒットしたがそれにヒントが隠されている気がする。 これから先、中高年、いや大人から子供まで浸透するような大人の歌を作ろうとするならば「演歌」という文字を封印するべきだ! (言い切ったけど怒らないでね・・・)

プロレスラー 三沢光晴さん 

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プロレスラーの三沢光晴さんがリング上の事故でお亡くなりになってしまった。 このニュースを聞いて絶句してしまった。 最近はプロレス人気も低迷して、ワシもすっかり見なくなってしまっていた。 ワシがプロレスを見るようになったのは初代タイガーマスクが登場してからである。 バリバリのミーハーファンだったのだが、以来、ずうっとプロレスを見続けてきた。 

 はじめて三沢選手を見たのはこれまた初めて行った「全日本プロレス」の興行の時だった。 昭和58年 4月22日 札幌中島体育センター。 メインの「ザ・ファンクスVS ハンセン、ブロディ」が見たくて友達と2人して行ったのだ。 そこでやっていたのが「ルーテーズ杯 決勝  越中詩郎VS三沢光晴」 だった。 若手の登竜門的な試合で、優勝すると海外遠征が与えられるというような試合だった。 

 両者は若手で線も細く地味で、選手コールより「レフリー ルーテーズ!」とコールされた方が遥かに拍手、歓声が大きかった。 試合は越中選手が優勝であった。 

 その後、初代タイガー引退後、今度は全日本プロレスにタイガーマスクが出現した。 それが三沢選手だった。 初代タイガーの人気が絶大だった為、三沢タイガーの出現には多少の反感もあり人気も大きくは無かった。  この時も 「タイガーVSD・キッド」 「タイガーVS小林邦明」を見たが会場ではタイガー人気はイマイチであった。 

 そしてマスクを脱ぎ、三沢光晴としてプロレスを再スタートさせてからは徐々に人気が高まり、1990年代は全日本プロレスも絶大な人気を誇る団体となった。 この頃はしょっちゅう、中島体育センターに通ったものだ。
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 プロレスショップの「リングパレス」にチケットを買いに行き試合当日を楽しみにしていたあの頃がとても懐かしい。 「リングパレス」も無くなってしまったが店長の日野さんはどうしているのだろう・・・・中島体育センターも無くなってしまった。 思えば、馬場、鶴田、三沢、3大エースが居なくなってしまった。 寂しいとしか言いようが無い。 三沢さんのご冥福をお祈りします。 

ジュリー  コンサートレポート

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昨日は札幌厚生年金会館での沢田研二コンサートに行ってきた。 去年9月に初めてジュリーコンサートに行き、今回で2度目だ。 今回は平日なので行く予定では無かったのだがラジオ番組でチケットが当選してしまった。(驚き・・) 急いで仕事を終え、会場に向かった。 去年、出待ちの場所で会った2人のジュリーマニアにも再会出来、感激しきりだった。 

会場は一階の中央部から少し後方で視界は良く、見やすい席だ。 前の方だと終始立ちっ放しなので運動不足のワシでは無理だったので良かった。 しかし、、 今回はワシには辛いコンサートになった。 ワシはあくまで昭和ヒット歌謡マニアであって、ジュリーマニアでは無い。 往年のヒット曲を聞きたいのだが今回は驚くほど少ないのだ。 30曲ちかく歌う中で、4曲なのだ・・・・・ 
 
 先に話した、遠路はるばるやって来たジュリーマニア、仮に「ジュリー師匠」と呼ぼう(いいのか^^) ジュリー師匠に言わせると、ヒット曲ばかりより、普段聞かない曲の方が嬉しいのだそうだ。 さすが「ジュリー師匠」である。 ワシは師匠には足元にも及ばないのでそういう心境には一生なれないだろう^^ 

 知らない曲の連続に心が折れそうになったが^^ 自腹を切っている訳でも無し、文句は言えない。とはいえ、文句を言いたくなる^^ 「他のお客さんだって望んでいるはずだ。 退屈してないかな?」 などと余計な心配をしてしまうのであった。 開始してかなり経った頃、「勝手にしやがれ」のイントロが鳴った! お客さんは「待ってました!」とばかりに立ち上がって喜んでいた。 

 マニアならばともかく、ワシのような一般ファンはかなり期待はずれだったのでは無いだろうか。こう書くとジュリー師匠に怒られそうだが(師匠すんません^^素人の戯言でござる) 歌手がやりたい事とお客さんが望む物のギャップがあるのは仕方ないのかも知れない。  お客はこれを望んでますよ!と言って、それを聞き入れるようなジュリーな筈が無い^^ 

 でもなああ・・・ せめて半分くらいヒット曲だったらなあ・・と思ったのでありました。

 コンサートが終わった後、師匠と出待ち場所で待ち合わせをした。 男はワシらくらいで殆どがおばちゃん達だった。 ジュリーはタクシーに乗って出てきたが見事にこちら側に背中を向け下を向き一瞬たりとも顔は見せないぞと言う様な姿で「流石、ジュリーだ」と呆れながらも感心してしまうのであった。 

 その後は「ジュリー師匠」と色々なお話をして楽しいひと時はあっという間に過ぎたのでありました。またいつか会おう!「ジュリー師匠」!

松田聖子が来た! 誰それ?

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小さな田舎町にも大スターが来る事もある。 ワシが中学の頃、「ハイジ牧場に松田聖子が来る!」というチラシが入った。 「ハイジ牧場」とは名のとおり牧場、動物を見たり、乗馬をしたり、可愛い羊を見ながらジンギスカンを食べられる夢のようなパラダイスだ!(お~い!) そこにアイドル歌手が来ると言うのだ。 ハイジ牧場は昔は随分人気があり、休みの日など大勢のお客さんが入る名所だった。 歌手やタレントも度々来ていた。 母は「ハイジ牧場行くかい?」と言ってきたが、小雨も降ってるし、大体「松田聖子」って誰やねん!という思いから行かなかったのだ。

 何日か後、友人が一枚の写真を持ってきた。 小雨の中、ステージで歌っている歌手が写っていた。これが「松田聖子」だった。 とは言え誰かは知らないので「ふ~ん」という感想だった。 ステージの下からスカートの中を撮ったぞというオメデタイ奴も居た。 

 そんな話も忘れかけた頃、「ザ・ベストテン」で一人のスターが誕生した。 それは「青い珊瑚礁」を引っさげ人気が爆発した「松田聖子」だった。 「うお~ これが松田聖子かい~! 見に行っとけばよかった~」 後悔先に立たず。 

坂本九 記念館に行ってきた!

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夕張まで行く途中に「坂本九記念館」の看板がある。 もう随分昔からこの看板を見ている訳だが一度も行った事が無かった。 「坂本九」さんと言えば、北海道では随分なじみのある人である。 それは北海道の番組、STVの「サンデー九」を9年間も勤めていたからである。 毎週日曜日の朝九時から放送され、北海道の朝の顔になっていた。「福祉」をテーマにした番組なので当時、子供のワシには内容が判らない所もあったが、日曜の朝には「九ちゃん」の顔があるのが当たり前の生活だったのだ。 

 そんな「九ちゃん」も1985年、8月の飛行機事故により急逝してしまった。 その2週間前にも記念館のある地元の施設に訪れていたという。 「サンデー九」で福祉の仕事に係わり、9年間も番組が続いていた事、北海道にこれだけ関わってくれた事が今頃になってありがたいと思う今日この頃です。

 随分と田舎なので周りには何も無いという風景である。 入場料は寄付と言う形で決まった金額は設定されていない。  中には当時の写真やサイン、売店などがあり、想像よりも綺麗な造りだった。建てられてからはもう20年近くになるが、今頃やっと来ましたという後ろめたさも少し・・・ 

 展示室には懐かしい番組の台本があり自由に読む事も出来ます。 許可を頂き撮影させて頂きました。 
 
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 「サンデー九」 のテーマ曲 「何かいいことありそうな」は作詞が道産子の奥山コーシンさんで、これまた道民に親しまれた一曲です。 とてもいい曲です。 ワシは九ちゃんファンと言う事でも無かったのだが、ここに来て改めて「坂本九」という人物の魅力、北海道への関わり、歌の素晴らしさが再確認でき、有意義なひと時だった。 みなさんも一度どうぞ!

松原のぶえさんの評価

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松原のぶえさんが大変な病気になっていた。 全く知らなかったので驚いた。 元気のかたまりと言う印象だったのでこんな大病を負っていいるとは想像も出来なかったのだ。

 松原のぶえさんの「おんなの出船」はデビュー曲とは思えない程、名曲で歌唱力も素晴らしい。 当時は演歌というジャンルに興味は無かったワシでもこの曲はよく覚えている。 TV「ルックルックこんにちは」 の「おんなののど自慢」でとてもよく歌われていたという記憶がある。(しかし、なんで見てるんだろう、わし?) 

 歌唱力や楽曲の素晴らしさを考えると、まだまだ評価が低いような気がするのはワシだけでしょうか? そりゃあレコード大賞新人賞やその他の賞レースでも活躍してはいるが世間での知名度は実力とは比例していない気がする。 明るいキャラクターばかりに目が行ってしまいがちになるのも原因の一つなのかも知れない。 手術成功後は演歌歌手としての新たなヒット曲を歌って活躍して欲しいものです。 
 

 (しかし、若いな、この写真・・^^)

初音ミクが歌う! 沢田研二 「君をのせて」 

沢田研二の記事を書いたら、訪問者数が「郷ひろみ」を抜いて過去最高になった。 これからはタイトルに「沢田研二」と入れよう。 たとえばハヤシライスの話題なら 「ハヤシライス  ・・・・沢田研二」と、それとは判らない様にそっと書く(無理だろ・・・) ジュリー万歳!

 という事で初音ミクさん、歌っていただきましょう! ジュリー、ソロデビュー曲、「君をのせて」!!!

 (初音ミクを買ってはじめて作った歌です。大変だった。 絵書くのも面倒だった)

 

沢田研二 コンサート

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初めてジュリーのコンサートに行ったのは去年の九月。 ワシが見ていたジュリー全盛期から実に30年の月日が流れていた。 今ごろになってジュリーを見に行こうと思ったのは、「昭和の歌手」が段々と少なくなる現実に焦りを感じていたのもある。 いつか行こうと思う間にも時間はドンドン流れて行ってしまう。 ジュリーももう還暦だ。 いつまで歌手でいられるかも判らない。 今しか無いとそう思った。

 随分とTVでジュリーを見ることが無くなった。 殆ど露出が無い。 噂では相当太ったというし、正直見るのが恐かった。 ショックが少しでも無いよう、出来る限り、酷い姿を想像して行った。 コンサート会場は想像以上に人が入っていた。 年齢層は当然高いが、驚いた事に20代、30代のコアなマニアも居た。 

 登場したジュリーはさすがに恰幅がよく、体が重そうだった。 でも酷い想像を準備していたせいかまあ許容範囲だった。 というかべつにそれ程、見た目が好きだった訳ではない。 用は歌声だ。 ワシはやはり当時にタイムスリップしたい派なので歌声、歌い方は出来るだけ当時のままのほうが好きなのだ。 声はやはり、太くなったが当時を懐かしむ事が出来る歌声で安心した。 60にも関わらずほとんどMCも入れずに30曲余りを歌い続けた体力には唖然とした。 これだけ体力を使いながらなぜあれだけ太るのかは謎である^^ 

 楽しくてまた行ってみたいと思ったのだった。
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